
本財団の歴史は、中正独立の市政調査研究機関として、1922(大正11)年に後藤新平によって創立された「財団法人東京市政調査会」に始まります。
2022(令和4)年2月に創立100周年を迎えた本財団では、永年にわたって積み重ねてきたこれまでの活動の歴史を「財産」として捉え、振り返るとともに、つぎの100年につなげるため、記念事業を推進しています。
記念事業のうちの1つとして編纂した『財団100年史』をもとに本財団の歴史を紹介します。
1920年 後藤新平と安田善次郎の会談
1920年12月、東京市長に選出された後藤新平は、選出から数日後に行われた講演で、市政改革のためニューヨーク市政調査会をモデルとした中正独立の調査研究機関の設立構想を提案します。
後藤新平(1857-1929)
水沢(現在の岩手県奥州市)出身。内務省衛生局長や台湾総督府民生長官、南満州鉄道株式会社総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市長、帝都復興院総裁、東京放送局総裁と幅広い分野で活躍しました。
安田銀行(現在のみずほ銀行)の創始者であり、稀代の銀行家であった安田善次郎は、講演後に後藤と会談し、調査研究機関設立の提案に賛同しました。その後、後藤と安田はしばしば会見の機会を持ち、2人の間で次第に市政調査機関設立の話が進められることとなりました。
安田善次郎(1838-1921)
越中国富山藩(現在の富山県富山市)出身。安田銀行(現在のみずほ銀行)を設立し、損害保険会社(現在の損害保険ジャパン株式会社)、生命保険会社(現在の明治安田生命保険相互会社)など安田財閥を一代で築いた実業家です。
1922年1月 安田善次郎からの寄附
1921年9月、安田善次郎は不慮の死をとげることとなりましたが、その遺志を継いだ二代目善次郎によって1922年1月、当時としては巨額の350万円の寄付の申し込みがなされました。
『東京市政調査会寄附に関する安田勤倹翁の真意』
安田善次郎からの寄付の経緯を後藤新平が解説した冊子
安田善次郎からの後藤新平宛書簡
1922年2月 東京市政調査会の誕生
本財団の前身である「東京市政調査会」は、1922(大正11)年2月24日、財団法人の設立許可を得て、愛国生命保険会社社屋の3階を事務所として業務を開始しました。
①創立当初に本財団が事務所を置いた愛国生命保険会社社屋
(旧麹町区有楽町3丁目3番地、現在の日生劇場の場所)
②1922年10月、有楽館ビル(旧麴町区有楽町1丁目1番地、現在の新日石ビルの場所)
2階に移転し、1929年10月の市政会館落成までの7年間、本財団事務所が置かれました。
1926年頃の日比谷公園付近の地図
(大日本帝国陸地測量部編『日本橋』より、本財団市政専門図書館所蔵)
①が愛国生命保険会社、②が有楽館ビル、③が建設中の市政会館の位置
①の拡大図 「愛國生命保儉會社」
1928年頃の日比谷公園付近の航空写真(国土地理院地図)
①が愛国生命保険会社、②が有楽館ビル、③が建設中の市政会館の位置
1922年6月 東京市政調査会発会式
1922年6月26日、東京市政調査会の発会式を丸の内の日本工業倶楽部で開催し、設立の趣旨を公にしました。
発会式に列席したのは各界の有力者335名で、来賓の中には各省局長以上、市選出代議士、新旧市会議員、府下郡長、接続町村長が含まれました。
日本工業倶楽部における発会式、壇上は挨拶を述べる後藤新平
写真の最前列左から3番目が後藤新平、5番目が渋沢栄一
1922年9月 ニューヨーク市政調査会・ビーアド博士来日
東京市政調査会設立直後、後藤新平は範をとったニューヨーク市政調査会のビーアド博士を招聘し、東京市政について、また調査会の運営についてアドバイスを求めました。
後藤新平(左)とチャールズ・A・ビーアド博士(右)
(1922年9月)
ニューヨーク市政調査会の事務所の窓からニューヨーク市庁舎方向を眺めた風景
(『紐育市政調査会の大要』より)
後藤新平が安田善次郎にニューヨーク市政調査会のことを伝えたところ、大いに関心を示し、その資料を翻訳・刊行した『紐育市政調査会の大要』を渡したとされています。
1923年 関東大震災
本財団が調査研究に取り組み始めた1923年9月1日、関東大震災が発生。甚大な被害をもたらしました。
東京市政調査会会長・後藤新平は、組閣された山本内閣の内務大臣・帝都復興院総裁となり、調査会の松木理事、佐野理事、池田理事らも、帝都復興院の幹部として復興に奔走しました。
尋ね人係のちょうちんと避難場所カード、尋ね人の札が貼られた上野公園西郷隆盛像の写真
(東京都復興記念館展示資料、『東京市政調査会四十年史』より)
本財団職員は、避難先などを記したカードを作成し、市民が避難した身内などを尋ねる際の便宜をはかるための「尋ね人」事業を行いました。
1925年 機関誌『都市問題』創刊
本財団の機関誌『都市問題』第1号を1925年5月に発行。戦前はその他、『都市問題パンフレット』、『市政カード』などを刊行してきました。
写真中央が1925年5月1日発行の『都市問題』第1巻第1号
『都市問題パンフレット』
『都市問題』に掲載された記事の中から、特に世論に問う必要のあるものや、重要な資料を提供するものなどについて別冊として刊行(1928-1944年、46号)。
『市政カード』
リーフレット形式で、ときどきの緊急問題について、一般市民の啓蒙のため発行。30万部を発行したものもありました(1928-1938年、18回)。
1929年 市政会館・日比谷公会堂の竣工
安田家からの寄付によって本財団は、市政会館・日比谷公会堂を1929年10月19日に完成させました。
竣工当時の市政会館
市政会館・日比谷公会堂落成式
1929年10月19日、日比谷公会堂のマスターキーが阪谷芳郎・東京市政調査会会長から、堀切善次郎・東京市長に渡されるセレモニーが行われ、日比谷公会堂については、東京市に引き渡されました。
公会堂では、東京市の初めての本格的な公会堂の落成を祝い、様々な催しが行われました。
帝都復興展覧会ポスター
市政会館・日比谷公会堂の竣工に合わせて本財団は、復興局、東京市後援の下に「帝都復興展覧会」を開催しました。
帝都復興展覧会に訪れた人々
1930年 第2回全国都市問題会議 開催
第1回の全国都市問題会議は、1927年に大阪都市協会主催のもとに大阪市で開かれました。1930年の第2回会議は本財団が主催し、日比谷公会堂で開催されました。その際の申し合わせにより、「全国都市問題会議」という団体が1931年4月から常設化されることとなりました。
今日では、開催市、全国市長会、日本都市センター、本財団の4者共催で年1回開催しています。
1930年10月に開催された第2回全国都市問題会議の様子
第2回全国都市問題会議の会場となった日比谷公会堂の入口
1941年 「市政専門図書館」開館
当時の市政専門図書館正面入口
(市政会館東側)
東京市政調査会の創設にあたり、その事業として掲げられたものの一つに、「図書館の開設」がありました。当初、収集した資料は調査会内部の調査研究のために利用されてきましたが、1926年に図書室として一般公開しました。
その後、本格的な図書館の創設を望む声が強まり、 1941年5月に名称を「市政専門図書館」と改め、開館しました。
当時の閲覧室
戦時中の東京市政調査会
供出された大シャンデリア
1945年5月の空襲で市政会館の塔屋の一部で火災が発生しましたが、会館関係者が延焼を食い止めたため、大きな被害はありませんでした。
その一方で、戦時中の金属供出により、館内のエレベーターや暖房設備、塔時計の機械、階段の手すり、玄関ホールの大シャンデリアを供出するなどの影響を受けました。
創刊以来、ほぼ毎月発行されてきた機関誌『都市問題』は1945年2月より休刊、市政専門図書館は同年3月より一般閲覧を中止するなどの影響がありました。
市政会館特設防護団
1966年 市政会館大規模改修
窓サッシ改修工事
戦後、市政会館では戦時中に失われた設備や美観の復旧に徐々に取り組みました。1960年、当時の大口テナントであった共同通信社が転出の意向を示し、これを機に市政会館を近代的なビルとするため、大規模な改修工事を行うこととしました。
1961年から1966年にかけて、エレベーター1台新設、2台更新、冷暖房空調設備設置、窓サッシ改修、電気設備改修などを行いました。
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改修後の窓サッシ。鉄製外開き組子入りのサッシからアルミ製上下開きのサッシへ取り替えられました。
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改修後の事務室
1974年 藤田賞 創設
藤田賞は、地方財政学の権威である故藤田武夫立教大学名誉教授(本財団元研究員)、故佐藤進東京大学教授(元本賞選考委員)から本財団に寄贈された基金により、1974年に創設されました。地方自治、地方財政、都市問題の分野における研究奨励、後継者育成に対する藤田氏の深い関心から創設されたものです。
1975年4月に第1回授賞式が行われました。
1975年4月1日 第1回藤田賞授賞式(河野理事長より山中永之佑氏へ)
1975年4月1日 第1回藤田賞授賞式
1999年 市政会館・日比谷公会堂が東京都選定歴史的建造物に
歴史的建造物銘板
わが国最初の公会堂建築であり、日比谷公園のシンボル的存在であるとして、 1999年、東京都景観条例に基づき、市政会館・日比谷公会堂が「東京都選定歴史的建造物」に指定されました。(2023年東京都有形文化財指定により選定解除)
2001年 第1回『都市問題』公開講座 開催
地方分権改革や都市政策のあり方などをはじめとしたトピックスをとりあげ、講演・パネルディスカッションによって、ひろく市民、自治体や中央政府の職員、研究者と議論を交わすため、2001年10月に第1回「都市問題」公開講座を開催しました。以来、年2回のペースで開催しています。
『都市問題』公開講座の様子
(2009年 日本プレスセンター10階ホール)
2004年 市政会館大規模改修
2003年、大口テナントであった時事通信社の移転完了と同時に、大規模な改修工事に取りかかりました。空調設備の更新、天井、床、廊下、トイレ、給湯室等の改修、光ファイバーの引き込み、機械警備システムの導入などを行い、2004年、市政会館は機能的なオフィスビルとしてリニューアルしました。
改修後の共用部
改修後の事務室
2007年 生誕150周年記念 後藤新平展 開催
2007年、後藤新平生誕150周年を記念し、東京都、財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、自治総合センター、本財団の共催で「後藤新平展」を開催しました。
後藤新平展会場入口
(2007年7月24日~9月9日 江戸東京博物館)
展示の様子
2009年 市政専門図書館リニューアル
リニューアル後の市政専門図書館
2012年 創立90周年 公益財団法人へ移行・法人名を変更
2012年2月、本財団は創立90周年を迎えました。同年4月に公益財団法人へ移行するとともに、法人名を「財団法人東京市政調査会」から「公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所」へ変更しました。
公益財団法人への移行、法人名変更の披露を兼ねて開催された創立90周年記念祝賀会
(2012年4月23日 帝国ホテル 光の間)
2019年 市政会館開館90周年記念事業
2019年10月、市政会館は開館90周年を迎えました。歴史的建造物の価値をあらためて認識し、多くの方とわかちあう機会とするため、記念シンポジウムや記念展示等を開催しました。
市政会館開館90周年記念シンポジウム「市政会館を読み解く」
(2019年11月19日 日比谷図書文化館コンベンションホール)
市政会館開館90周年記念展示「市政会館・日比谷ものがたり」
(2019年10月18日~12月6日 市政会館1階展示ギャラリー・地階063号室)
後藤・安田記念東京都市研究所の現在
2022年2月、本財団は創立100周年を迎えました。
地方自治、都市政策をめぐる現在重要なテーマについて調査・研究を行うとともに、月刊誌『都市問題』の発行、『都市問題』公開講座などにより、地方自治、都市問題、都市政策を議論する場を多くの方々と共有する取り組みを進めています。
調査・研究の成果については、「都市調査報告」シリーズなどとして発行したり、月刊『都市問題』誌上などで発表しています。
第50回『都市問題』公開講座 「「分権」から「自治」へ」
パネルディスカッション右、同公開講座を収録したブックレット
2023年3月、市政会館及び日比谷公会堂の建物1棟が、東京都文化財保護条例に基づき「東京都有形文化財(建造物)」に指定されました。
文化財の保護と活用に取り組むとともに、開館から現在に至るまでの本財団の運営や日比谷公会堂の催事に関する資料を引き続き記録・整理し、広く公開するよう努めています。
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東京都有形文化財(建造物)指定書
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設計図書・申請書等(簿冊)